秋田八丈の買取り相場はオークションではいくらなの?
秋田県の特産品である秋田八丈を売る事を検討しているのなら、まずは買取り相場を知っておきましょう。
秋田八丈をネットオークションで売る場合、平均相場価格は700円程度です。
中古の最高値は59,000円、最安値は札入れが400円から出ており、こういった小物類が平均価格を下げているので注意が必要です。
もちろんこれらの数字は目安に過ぎません。
秋田八丈の着物を高値で売るのなら、その本当の価値が理解できる着物買取店に査定してもらいましょう。
店は無料査定してくれるので、提示額に満足なら売る事を考えてみましょう。
秋田八丈の特徴を徹底解説
秋田八丈は主に秋田県北秋田市で生産されている、特産の絹織物です。
八丈は東京の八丈島で誕生した草木染めの絹織物ですが全国に広まり、秋田では自生するハマナスの根を染料に染めた技法を生み出し、それを使った八丈が秋田八丈で秋田黄八丈とも呼ばれています。
近年は淡い青色など多色化していますが代表的な色は黄色やハマナス独特の鳶色で、光沢感は少し低く渋みがある八丈は、年代問わず落ち着いた印象で着こなせるでしょう。
絹織物なので肌触りはサラサラしており、適度な柔らかさとハリがある生地が特徴的です。
1784年(天明4年)頃、石川滝右衛門という仙台藩で養蚕業を営んでいた人物が久保田藩(秋田藩)に移り住み、そこで養蚕・製紙・織物を始めたことが秋田で絹織物が始まったきっかけになりました。
久保田藩による物産振興により秋田絹の知名度は上がっていき、1800年頃に絹方役が設けられ、工場では子女が絹織物を学んでいたようです。
また、同じ時期にハマナスの根から染料を抽出する技術を金易右衛門や関喜内などの協力から誕生し、1830年から1843年の天保年間は本場黄八丈が流通していましたが、秋田八丈が市場を占めるようになりました。
天保改革により贅沢品が規制され秋田八丈にも影響を与えますが、1854年頃から復活して県内で都営の工場などが増えていき、秋田八丈の改良も行われます。
日露戦争で一時的に需要が減りましたが、戦後は回復し器具改良によって1903年~1904年は取引が増え黄金時代を迎えました。
第一次大戦の頃も秋田八丈は大繁盛しますが、1923年に起きた関東大震災の打撃を受け、1929年には滑川五郎ただ一人が秋田八丈の伝承を引き継ぎます。
それから1980年1月10日に滑川機業所を継いだ滑川晨吉が秋田県の無形文化財に指定されますが、高齢により2003年に滑川機業所は廃止になり、それに合わせて秋田八丈の生産も終わってしまいました。
その後、従業員だった奈良田登志子が工場を引き継ぎ、現在はことむ工房にて秋田八丈は生産され続けています。
今の時代に合わせて着物や反物だけではなく、財布や名刺入れ、ネクタイなど色々な製品が製造されており、今でも秋田で愛され続けている絹織物です。
参考反物買取
秋田八丈を高値で売るコツ
秋田八丈の生産は現在ことむ工房だけなので、他の絹織物と比べて希少性が高いと言えます。
高値で売るのなら、秋田八丈の正しい価値が分かる着物買取店に見てもらうのが安心です。
こういったお店は宅配での買取りや訪問査定に対応しているのでその利便性の高さも大きな魅力です。